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A Story of the HEAT

1980-はじまり

1980年、菊池市の温泉町にてボーカル菊川を中心に近所の幼なじみが集まり、イギリスのロックバンド The Rolling Stones みたいなバンドを目指して結成されました。
ビデオデッキもあまり普及されてない時代でしたが、唯一人持っている友人がおり、NHKヤングミュージックショウを録画してもらい、それをメンバーと一緒にテープが擦り切れるほど繰り返し繰り返して観て、ミックジャガーの歌や踊りを研究しました。
Stonesの映画が上映されると聞けば大阪まででも車走らせ観に行ってました。

地元コンテストで優勝

菊池市から車で約20分のとなり町山鹿市に楽器店があり、そこに練習スタジオがありました。
店のオーナーが元プロトランペッターでもあり、とても有り難い貴重なアドバイスを受けておりました。
そこの楽器店主催のミュージックコンテストがありまして、なんと我々THE HEATが優勝してしまいました!それを機に私達は練習に磨きをかけるようになりました。

追悼コンサート

山鹿や菊池では少し名が売れ始めてきました。
そんな意気揚々と有頂天の最中、信じ難い知らせが届きました。
福岡の街中でバンドメンバー2人が乗車した車が大事故を起こしてしまいました。
事故から約半年後にベーシストが亡くなってしまいました。
その年の12月、彼の追悼コンサート、「Beautiful Rock Show」を開催いたしました。

被災地支援チャリティ

90年代に入りいろんな自然災害がありましたが、一番印象に残るのが阪神淡路大震災、 信じられない早朝から流れるニュース映像。
「とにかく何かやらねば、何かやりたい」そんな気持ちが湧いてきまして、すぐにバンド仲間に声をかけて、何を、どこで、いつ、どんなやり方で、等々 喧々諤々意見を交わしました。
1ヶ月後に熊本市民会館にて「阪神淡路大震災チャリティーコンサート」を開催することになりました。

この年以降、地元音楽関係有志たちと毎年チャリティコンサートを開催し、第10回開催時には、夏川りみ、吉川忠英、高橋裕士をゲストに迎えるまでになり、これまでの募金総額は1000万円に及びました。
我々THE HEATのバンド活動を振り返ってみますと、常に大きな災害に対して音楽仲間たちと一緒に救援活動をやってきたように思います。
熊本地震の際には、恩義に報いられ全国から物資や激励の言葉を頂きました。

<主な救援活動>
1991年. 島原(雲仙普賢岳噴火)救援 「AID FOR SHIMABARA」出演
1995年. 阪神淡路大震災チャリティーコンサート及び街頭募金活動
2000年. 台風18号 不知火松合復興イベント「鎮魂の炎の勇気の鼓動」参加
2005年.「BAND AID 新潟中越地震復興コンサート」
2009年.「宮原敬助君を救う会チャリティーコンサート」出演
2010年. beautiful rock show ハイチ.チリ大地震復興支援チャリティーライブ
2012〜20年. 復興支援キャラバンfromくまもと(東日本大震災チャリティーコンサート)開催
2018年.「平成30年7月豪雨」「平成30年北海道胆振東部地震」復興支援ライブ 開催

親父バンドコンテスト優勝

2005年、時代はオヤジバンドブーム到来!
我々THE HEATは、志こそ高い少年のままであっても見かけは "そこそこのオヤジ達" の集まりにすぎない!あえてブームに乗っかりあらゆるコンテストに出場しまくりました。バンド結成からメジャーデビュー目指して25年目くらいからようやくコンテスト受賞という形で、脚光をあびるようになりました。

初めてのオヤジバンドコンテストで優勝は逃したもののフジテレビの目にとまり、密着取材を受け『オヤジ達の熱い夏』と題して放送され沢山の賞賛を得ました。
翌2006年の同大会では見事優勝することが出来ました。
その優勝の副賞として、東芝EMIスタジオでの録音権でした。そのスタジオはなんと,あのThe Rolling Stonesも録音したスタジオでした。私はスタジオに入るや否や興奮を抑えるのに必死でした。「ミックが使ったマイクはどれかな?これかな?あれかな?」終始感情が高ぶったままでした。

海外進出

日本、中国文化交流領事館イベント上海コンサートに出演。初めての海外遠征ライブ!
カルチャーショックの連続でした。想像するにまるで戦後の日本のような気がして、みんな目がギラギラしていて、殺気立っている感じでした。
我々のライブが始まっても最初はみんなただ呆然と立ってるだけで、後半ようやく徐々に乗ってきてくれて、拍手の音大きくなってきました。2日目のライブでは熱烈なファンもできました。

翌年には韓国(釜山)ライブも実現いたしました。もちろん言葉はよく分かりませんが、中国より全てにおいて日本に近い感じがしました。とても友好的なファンもいたおかげで、熊本地震の時には、『熊本復興支援:韓日友好親善』と題してチャリティーコンサートにゲストバンドとして招待されました。

40周年に向けて

加筆準備中